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批判するということ・4

 批判のあり方といっても、性格によって、いろいろな種類のものが存在すると思う。前回、批判の目的は相手を自分たちに引き寄せるためにあるのではないかと書いたが、そうでない場合もある。

 たとえば、政治闘争は、その代表的なものだろう。国会などですべての政党がやっているように、政敵を追い落とすための批判だ。

 この場合の批判は、相手を仲間にする目的をもつことはあり得ない。あくまで、相手の信頼を失墜させ、立ち上がれないようにすることだ。

 そのために大事なことのひとつは、相手の弱点を見つけることである。いろいろな文献をしらべあげ、国民が怒りを感じるような失言とか、言い回しを見つけ、そこを徹底的にたたくのだ。くり返し。

 全体の文脈からすれば、発言の真意は違うところにあるという場合もあるだろう。だけど構わない。批判の目的は相手の真意を知ることにあるのではないのだから。

 こういう批判が成り立つのは、相手の政党と、自分の政党と、絶対に相容れないことが前提になっている。お互い、利益の相反する別の階級を代表する政党であるとか、そんな場合。

 本当に、いまの日本で、資本家階級だけを代表する(労働者の利益は少しも代表しない)政党とか、労働者階級を代表する(資本家の利益は少しも代表しない)政党とか、そういうものが存在するのかは別の主題。数年後にまとまったものを出したいと思っている。

 そのことはいいとして、しかし、そういう批判は特殊なものだと思う。我々の人生で直面する批判というのは、普通は、それを通じて相互理解をめざしたり、より高い認識に到達しようとするものだ。日本をよくしたいという気持ちは、それなりに共通しているはずだから。

 たとえば、現在の局面でいえば、どうやったら原発をなくしていけるのかとか、放射線の被害を少なくしていけるとか、多くの人はそこで共通していると思う。もちろん、そう簡単な問題ではないわけで、その方法論については多種多様にならざるを得ない。だけど、多くの人は、同じ目標をもっていることを前提にして、それにふさわしい批判が求められると感じる。

 どういうことかというと、そういう場合も、その方法論について、いろいろな議論や批判はあってもいい。というか不可欠だろう。

 だけど、方法論が気にくわないからといって、その相手に対して、原発推進勢力と同じかのように(あるいはそれを助けるものだとか)批判するのは、おそらく適切でない。放射線の被害を少なくしようと努力している人に対して、被害を与えようとしている人物だと描く批判するのも適切ではない。

 そういうことをやろうとすると、冒頭の政敵に対する批判のようになる。つまり、相手の発言とかをよく研究するのだろうが、その視点が、考え方の全体とか構造を真剣に研究するのではなく、「どこか間違ったことを言っていないか」を探すものになる。

 そういう批判というのは、相手に、反原発勢力はこんなことを言うのかと思わせてしまう。相手の水準次第では、仲間になるどころか、どんどん敵側に追いやることになりかねないのだ。まあ、どんなに批判されても、自分は自分のやり方で反原発、反放射のだという人もいるけどね。


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コメント

[C8769] わかった。

 その前提の上での批判はわかった。

 それがいいだろうと思うし、何十年もつづけてきたつもりだ。
 しかし、伸さん、キンピー君の問題はどうだろう。私の指摘した問題はどうだろう。
 県書記長はこういった、おめえなんかきにいらねえんだよ。おまえをつぶしてやる。徹底的にな、中央をだましてもつぶしてやる。おぼえておけ。ふふふと笑いながら、おめえなんかに意見をいわせることもさせねえからな。民主主義なんぞはくそくらえだ。わかったか、この民主主義馬鹿と、テープを取られているのにかかわらず、それを知らず証拠として残してくれた。そのテープのコピーを中央に送ったがもみつぶされた。
 私が内部問題を内部では解決できないのではといいたいのはこの点である。中央そのものが証拠を破棄してしまったことだ。コピーなのだが。
 それはそれはキンピーくんの出したテープとまったく同じ内容だった。
 また、私の友人も同じめにあった。

 伸さんの意見は正しい。

 しかし、その正しい意見は正しいと口ではいいつつも、裏ではそれと真逆の行動を取る共産党中央委員会の態度はどう説明するのか。
 それは結局、伸さんをガス抜きの道具として使うということでしかない。事実を伸さんは調べようと思えばできる立場だろう。中央の全国から送られてくる証拠や文書を見ようと思えば見ることもできるだろう。しかし、心ある中央委員会委員はけして、共産党内部の実態を見る人がほんの少ししかいないのではないかと思う。そう、たまには伸さんのいうことをいう誠実な中央委員もいる。しかし、調べたとは思うが、答えはない。これは回答しないことが回答と言っていることに等しい。

 せっかく、反省すれば許すといっているのに、事実をもみけしてそれでよしとしている。

 それが何十年もつづいているのだ。何十年も。
 そして、うそにうそを塗り固めて党は活動している。
 なにか問題が起きたときはうそが用いられることが常となった。そしてうまくいかないと放置することが常となった。

 批判としては、これはよくないね。という事しかいえない。しかし、たくさんの人がそう思っても。ただ思っているだけではかわらないと思う。

 常にうそが支配して、放置が支配している。もちろんそうしたくない党員個人のもがきはあるだろう。しかし、無知な党員を地区、県の幹部にして無知なまま、知らないことを強制してしばらく使い。用なしと見るや、放置して次の無知な人間を捜し求めている。
 これが実体ではなかろうか。悪事を見逃すことを専従の条件にしていないか。
 これで内部問題を内部で解決できるのか。
 知らないですませばいいのか。とても合理的だ。
 めんどうくさいことはなかったことにすればよい。

 はたしてこれを多くの党員が知れば許すだろうか。国民が知れば許すだろうか。けして許しはしないだろう。そういううその中で党は活動しているのだと思う。大きな偏見を互いに埋め込み、嘘で互いをだましあい。冷たい冷戦が各地で行われているではないか。そのすべてのぶつかる地点にはうそがあり、力づくのもみけしがあり、処分をちらつかせた脅しがあるではないか。それが日常化しているではないか。そのほんの少しも伸さんは知らないのか。幸いなことに私は何百も見てしまったよ目のまえで人がどんどんつぶされていくさまを。

 それを全国の党員が知らないと思うか。知らない人もいることはいるだろう。とても善良で小さいが確実な仕事をする多くの人たちが。

 うそだといいはることがいつまでできるだろう。私はもうそれはできないと思う。内部で解決するといいながら、内部にはいると、てめえぶっつぶしてやるという幹部たち。ヤクザと変わらないことはキンピーくんのテープであきらかだ。なぜきびしくこのヤクザまがいの幹部を指導できない。
 
 これをだまっていることは、ヤクザの手下と同じことだ。

 批判とはいつできるようになるのだろうね。見てみたいよ。
  • 2011-10-23 22:58
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  • 編集

[C8770] ↑の方とは、ごっちゃにしないで下さいね

>この場合の批判は、相手を仲間にする目的をもつことはあり得ない。あくまで、相手の信頼を失墜させ、立ち上がれないようにすることだ。
> そのために大事なことのひとつは、相手の弱点を見つけることである。いろいろな文献をしらべあげ、国民が怒りを感じるような失言とか、言い回しを見つけ、そこを徹底的にたたくのだ。くり返し。
> そういうことをやろうとすると、冒頭の政敵に対する批判のようになる。つまり、相手の発言とかをよく研究するのだろうが、その視点が、考え方の全体とか構造を真剣に研究するのではなく、「どこか間違ったことを言っていないか」というものになる。

これ、池田サン批判をしてる僕にも当てはめているのでしょうね。
相手のブログをチェックして、ひたすら間違いだけを探しているとか?・・・。

さすがにちょっとキレました。・・・こうゆう言われ方はねえよな。

とっても単純なことを、何だか難しめの話に持っていく・・・と。
肝心なことには答えず、でも相手をサラリと批判しておく・・と。
まあ、そういうゴマカシとか、そうゆうタフさも必要なのでしょう。
・・・ただ、僕の2つの批判が姑息な「あげ足取り」かどうか、周りの人に聞いてみてね。

それから、あなたの言っている意味が少し分かりましたよ。

> あるいは、このブログでも、鳩山さん(原発推進の立場に立っていた)を評価した人物に反原発の本を書かせたり、講演会に呼んだりするのは許せない、反省しろというコメントが出ている。

あなたから、
このような「事実に反する批判」を平気で(おそらく意図的に)浴びせられると、仲間になるどころか、どんどん敵側に行きたくなるということがね。(事実なら構わないんですけどね)
・・・でも、そんなのいちばん情けないしみっともないので、
何とかそこはキレずに、そうはならないように我慢します(笑)。

僕も、もうちょいオトナにならなきゃね。
こちらのブログに書き込んでも、議論になんてなるわけもないし。
「都合がイイ批判」と「都合のワルイ批判」では当然、
誰もが対応は違ってきますしね。
まあ、そんなことは確かに当たり前ですよね、左翼おじさん。

意見を述べるということは、少なからず何かの批判を含むものですが、
今後、あなたが何を批判して、何を批判しないんだろうってことにはちょっと興味があるかな。
でも、
寛容さを貫いて頑張ってください。
今いちばん役に立つ政党は、やっぱ共産党かなと思っていますし。

互いに時間をムダにしましたね。

最後に一つだけ。
若い世代に届かなければ、商売も政治もうまくはいきませんよ。
そこんとこ、ガチで考えないと。
・・・精一杯ガマンして、品良く書いてみました。
  • 2011-10-23 23:59
  • Sファイト
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  • 編集

[C8772] 批判について、若い世代の立場から

 「若い世代に届かなければ、商売も政治もうまくはいきませんよ。」というご意見がありましたので、では若い世代が「批判」についてどのように考えているのか、一例を御紹介します。

 若い世代に大人気の「ニコニコ動画」にあります「ニコニコ大百科」から、「批判」についての概要を全文抜粋します。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%89%B9%E5%88%A4
”概要

批判とは、人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めることです。
相手の過失や欠点、悪い点をあげつらって、感情的に責めたり、馬鹿にしたりすることは「非難」にあたります。

正しい「批判」を行うには、客観的思考や豊富な知識、理性的な態度、そしてなにより批判をする相手に対する思いやりが必要となります。
ただやみくもに相手の悪い所を指摘し、責めるだけ、というのは、自分の感情を相手に押し付けただけの「非難」でしかありません。

例えば、「つまんね」という「非難」でしかないコメントを、「批判」という段階にするには、何故つまらないのか根拠を示し、どうすればつまらなくなるかを論理的に、かつ相手に理解してもらえるように気を配りながら説明しなければなりません。
批判する側にもされる側にも多大なストレスがかかり、またエネルギーが必要となります。
ニコニコ動画の場合、文字数が限られたコメントで論理的に「批判」を行うことは大変困難であり、またコメントが全てアップロード者に伝わるわけではありません。本当に伝えたい「批判」ならばコメントを使用せず、他の方法で伝えようとするのが確実でしょう。

それよりも、相手の良い所を見つけ、互いに理解できる部分を探し、肯定的な言葉で相手を認める、といった「共感」を積極的に行っていった方が、いきなり「批判」を行うよりも、ずっと楽に相手への改善を促せるようになります。

ニコニコ動画に限りませんが、「非難」はもちろん、軽はずみな「批判」も控え、まずは「共感」をすることから始めてはどうでしょうか。(抜粋終了)”


 なかなか「大人」な御意見ですネ!
 松竹さんの御指摘の「政敵に対する批判」とは、ニコ動からすれば「非難」に該当すると思えます。

 いずれにせよ、日本においての「批判」の多くが実質的には「非難」であり、その「非難」をする人間に対してさらに「非難」が集り、結局のところ「批判」というモノが日本の政治や社会に及ぼす力が非常に限定的になって、私のようなノンポリが日本人の大半を占めることになったのではないでしょうか?

 「非難」を生業にする人は、結局、一貫した論理や話の筋を通す事が出来ず、例えば同じAという事柄に対しても、あるときは「なぜAに対して賛成しないのだ!」と相手を非難し、時と場合が変わったときは「なぜAに対して反対しないんだ!」と相手を非難することを仕出かしてしまいます。
 そんな人間に対して、「ダブスタ」だと批判や非難が殺到してしまい、非難の応酬が繰り広げられることが、特にネットが発達し、発言内容を簡単に調べる事が出来るようになった近年では特に多くなったと思います。

 まあ、そういうわけで、「現状を変革しなくてはならない」ということを第一の目標としている人間ならば、「非難の連鎖反応」が容易く起きる近年の現状を鑑み、持論を他人に向けて言葉にして発するとき、慎重かつ繊細な心配りが必要なのではないでしょうか?

 その方法論についての、解答はニコ動が明言している、
「相手の良い所を見つけ、互いに理解できる部分を探し、肯定的な言葉で相手を認める、といった『共感』を積極的に行っていった方が、いきなり『批判』を行うよりも、ずっと楽に相手への改善を促せるようになります。」
というものが、すべての基本になると思いますが、如何?
  • 2011-10-24 15:22
  • 衆愚代表
  • URL
  • 編集

[C8777] 「正しい批判」に期待しています

>批判とは、人や物事の誤った箇所や悪い部分を、根拠を示しながら論理的に指摘し、改善を求めることです。
>正しい「批判」を行うには、なにより批判をする相手に対する思いやりが必要となります。ただやみくもに相手の悪い所を指摘し、責めるだけ、というのは、自分の感情を相手に押し付けただけの「非難」でしかありません。

めちゃめちゃオトナなご意見ですね。
上記のような寛容的な「正しい批判」は、ほんと理想的です。
みんながそれをできたら、どんなにイイでしょう。
・・ブログ主さんもこうゆう事を言いたかったのかな。

>「相手の良い所を見つけ、互いに理解できる部分を探し、肯定的な言葉で相手を認める、といった『共感』を積極的に行っていった方が、いきなり『批判』を行うよりも、ずっと楽に相手への改善を促せるようになります。」
というものが、すべての基本になると思いますが、如何?

これは正しい!・・・正直返す言葉もありません。
・・・でも、納得できるのは半分ぐらいですね。

だって、こういう優しさや寛容さによる「正しい批判」は、今までも十分日本人がやってきたことだと思うんですよ。
この国の人たちは「誰かを許す」のとかすごく得意じゃないですか。とても優しいじゃないですか。すぐ水に流してチャンスをあげるじゃないですか。
でもそれが・・・政治の分野ではマイナスになってきたんじゃないのかな。
つまり「従順な国民」として。

例えば自民党なんか、これまでいっぱい「正しい批判」をされてきたわけでしょう。
いろんなことでウソをつき、何度も裏切り・・・それでもまだ国民は本気の怒りを見せずに、「高望みはしないから、とにかく当たり前の政治をやってください。改善してくれ」と。
・・・でも、その結果が今なんですよ。この有様なんです。
「正しい批判」の効果は残念ながら・・・です。
それにジエンドの頃はどうだったんですか?
自民党的なものに対して、その「正しい批判」が出来たでしょうか?
逆に「正しい批判」で、政権交代出来たでしょうか?
衆愚代表さん、ブログ主さん、どうでしょうか?

やはり、何かを変えたい時に、いちばん原動力になるのはまず「怒り」だと思いますよ。
理想を持って「正しい批判」をしようとするなら、それは素晴らしいですけど、「同時に」リアルの世界では、その成果も求めていかなきゃいけないわけです。
世の中この惨状なわけで、まず今は怒んなきゃはじまんないと思うけどな。
ウォール街や世界中で起こっているデモはどうですか。
今ギリギリでやってる人たちや被災地福島の人たちは、マジでどう思いますかね? 
いい加減なこと言ってたら「そりゃダメだろ」って、そんなことすらイケナイこと? 意味がないことでしょうかね?

「正しい批判」だけでは、若い世代はもとより、一般の人たちに、広がっていくのは僕は無理だと思いますよ。
定義や主義もいいのですけど、政治において何より大切なものは「生活感」ですから。・・・大阪もまたヤられちゃうのかな。

まあとにかく、
皆さんに見せてもらいますよ、「正しい批判」ってやつを。
そのやり方が現実にどの程度浸透し、広がっていくのかってことを。
期待してます!

・・・できれば、ブログ主さんには僕に対しても、「正しい批判」をやって頂きたかったなあ。
やっぱり相手に対して怒りがあると「正しい批判」は無理なのかもね。
  • 2011-10-25 00:39
  • Sファイト
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  • 編集

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プロフィール

Author:松竹伸幸
(まつたけ・のぶゆき)
日本平和学会会員(日本外交論)
某地方出版社東京オフィス所長

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