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憲法と自衛隊・13(集団的自衛権)

 アメリカの集団的自衛権行使とは、いったいどういうものだったのか。アメリカ自身が、自国の戦争を「集団的自衛権」だと称したのは、過去2回ある。

 一つは、ベトナム戦争である。これはあまり説明がいらないかもしれない。

 いまアフガンやイラクで戦争がつづいているが、それらとも比べ物のないほど大規模な戦争であった。第二次大戦において世界中で使われたのを上回る爆弾が、あのせまいベトナムの国土に投じられた。

 この戦争に対する批判が高まった。国際法上、根拠がないではないかと。それに対して、アメリカ政府が説明したのが、この戦争は国連憲章51条にある集団的自衛権を行使したものだということだった。

 じゃあ、どこで「武力攻撃」が発生しているのか。アメリカ政府は、かつてとは戦争の概念が異なっており、北ベトナムから武器やゲリラが進入すること事態が、現代においては「武力攻撃」とみなされるので、集団的自衛権が発動できるのだと強弁した。

 もう一つは、80年代半ばの、ニカラグア介入である。介入をめぐって国際司法裁判所で正当性が争われたのだが、裁判所に対する弁明書の中で、アメリカは、自国の軍事行動を集団的自衛権だと説明したのである。

 しかし、これも事実は明白である。ニカラグアの親米ソモサ政権が倒され、サンディニスタ政権が誕生した。これをきらって、アメリカは軍事介入したのである。集団的自衛権の要件である「武力攻撃」なるものは、どこにも存在しなかった。

 国際司法裁判所は、アメリカの軍事行動は国際法違反だと裁定した。集団的自衛権だというアメリカの説明は、受け入れられなかったのだ。

 アメリカをめぐっては、これ以外にも、ひとつ、集団的自衛権が存在する。83年のグレナダ介入であり、これも政権打倒とかかわるものだったが、集団的自衛権の行使を要請したのが、東カリブ海諸国機構だったので、ここではとりあげない。

 ただ、結局、アメリカの集団的自衛権も、ソ連と変わるものではなかったことは明白だ。自分の勢力圏内になる国が、その勢力圏から抜け出そうとしたとき、この権利は行使されたのである。

 それを日本の憲法で許すのだろうか。自衛隊にそんなことをさせるのか。それに賛成の人は、おそらく一人もいないと確信する。(続)


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『劇画資本論』、中国語版を出版へ

 『理論劇画 マルクス資本論』、この春に出版して、1万1千部に到達している。韓国語版も検討が進んでいるが、お先に、中国語版の出版が決まった。

 先月末、中国の兪可平さんをお迎えしていたことは、このブログで何回か報告した。帰り際、この本のことを紹介してみたのだ。そうしたら、すごく興味をもった様子だった。そうして、中国に帰ってすぐ、翻訳・出版を決めてくれたのだ。

 いま、中国では、『資本論』がいろいろなところに置かれている。北京空港などでも売っているそうだ。

 なぜかといえば、中国の現実があると思う。党や政府にかかわる経済学者も、三分の一が新自由主義者だといわれる中国のことだ。どんどん市場経済化が進んでいる。

 だが、公式的には、社会主義を看板としている国だ。だから、マルクス主義の正統性というものを、何からの形で打ち立てないといけないという思いもあるのだろう。

 けれども、日本と同じで、なかなか読まれていないようだ。だって、中国で出版されているのは、ダイジェスト版も多い。買ってもらい、読んでもらうために、日本と同様、苦労しているのだ。

 それで、劇画版を見て、びっくりしたのだと思う。これはいいと。日本では文章の意味がわからないので、中国にもって帰って検討した結果が、OKということだったのだ。

 まあ、契約はこれからで、中国の商習慣を知らない私としては、これから勉強なので、すぐには無理かもしれない。でも、大量に普及したい。

 兪可平さんの思惑とは違うかも知れないが、私としては、中国のたたかう労働者に読んでほしい。いま、中国全土で、資本の横暴に怒り、反発する労働者が決起する状況がひろがっているが、『資本論』で資本の本性というものをよく知ることができれば、そのたたかいはもっと強固に、幅広いものとなるに違いない。

 これだけ市場経済化が進めば、当然のことながら、労働者階級の自覚が強まる条件がある。この『劇画資本論』が、そのために役立てばうれしい。


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9条の会で蓮池さんと対談

 昨日、京都向日市の9条の会に招かれ、お話ししてきた。蓮池透さんと私と2人で対談。

 436名の参加。すごいね。

 蓮池さん、今後、9条の会での講演が増えていく。きのうは、その出発点のようなものだった。

 9条の会にとって、拉致問題は直接には関係ない。しかし、そうは言っていられない性格をもつ。

 だって、9条の署名を集めていたら、すぐ、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」と言われるわけだ。それにびびっていたら、その人は署名しないまま、通り過ぎていく。

 北朝鮮についてのそういう議論が日本で幅をきかせる大きな理由が、拉致問題である。だから、北朝鮮問題で議論になったとき、「私は拉致問題でもこんなに頑張っている」と、胸を張って言えるものがあれば、何が起きても動揺しないわけだ。

 だが、これまでは、残念なことに、拉致問題で護憲論者が打って出るという場面が、あまりなかった。関心はあっただろうが、なるべくさわりたくないという雰囲気さえあって。

 いま、そういう状況を打ち破っていくチャンスである。9条の会には、おおいに頑張ってほしい。

 きのうは、せっかく9条の会の主催だから、蓮池さんとの対談で聞いたことがある。9条をどう思っているのかと。

 蓮池さんは、亡くなった中川昭一さんなどにあおられ、9条が拉致問題の障害だなどと発言したことがある。きのうは、まず、それを反省しておられた。

 そのうえで、戦争しないという9条は大切だと、くりかえしのべていた。自衛隊との関係をどうするのか、安保はどうなのかは難しいと言っていたけれど、それが難しいのは蓮池さんだけでなく、すべての護憲論者に課せられた問題なのだ。

 あわせて、核廃絶の大切さについても、堂々と訴えておられた。蓮池さんは、最近まで、東京電力の原子燃料サイクル部部長という要職にあったので、その発言にはとても説得力があったと思う。

 9条の会で蓮池さんをお呼びしたいというところがあったら、是非、私にメールをください。よろしくお願いします。


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心をつなぐレーニン?

 昨日、社会主義論の師と仰ぐ大先輩とお会いし、いろいろと教えてもらった。いまどき、社会主義をめぐって、何時間も飲みながら議論する人って、そうはいないだろうな。

 話題のひとつは、社会主義とは何かということ。コメント欄で出されている定義の問題もあるが、私の問題意識は、マルクス主義の用語ではなく、日常の言葉で表現しないと、身近に感じてもらえないから、どうするのかということである。これについては、来年はじめに出版する(昨日、出版してくれるところが決まりました)『マルクスと憲法問題』で明らかにしたい。

 そのとき、民主集中制が議論になった。民主集中制といっても、時代により、党により、いろいろあるという話だ。

 先輩は、レーニンのことを熟知していて、当時のロシア共産党の会議の様子を詳しく語ってくれた。会議では、レーニンに対する批判がぼこぼこ出るわけだが、大事なことは、その全容が、そのまま活字になって発表されることだ。

 最高指導者に対して、活発に批判が出る。その批判を、最高指導者が、堂々と活字にするというわけだ。それも民主集中制である。

 いったん決まったら、その決定は、当然のこととして遂行することに変わりはない。でも、だからといって、その決定に重大な異議があったことを隠すのが、民主集中制というわけではないということだ。

 もちろん、表にできないことは、レーニンの時代、政権獲得前にはあった。たとえば、いつ蜂起するのかなどを暴露するような人々がいれば、その意見を活字にするなんてことはできない。それどころか、そういう人々は、除名ということになっただろう。

 いずれにせよ、そういう自由な議論があることを知って、その党を見つめる人々は安心する、という側面もあると思う。特定の運用を原理にしてしまうことなく、国民から見て違和感のないように、つねに柔軟な運用を探求すべきなのだろうな。

 あれれ、ギスギスするなんていいながら、そうなるような話題をわざわざ提供しているよ。まあ、こうやって学びながら、心が通じる共産党論の論じ方を考えていきます。


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『心をつなぐ左翼の言葉』売上1位で増刷へ

 と言っても、三省堂書店神保町本店の話。それも、ノンフィクション部門、先週1週間に限定した売上。

 でも、売れているのは、おそらく三省堂だけでないと思う。その証拠に、通常より多めの初刷だったけど、はや増刷も決まってしまった。

 書店だけではない。大阪で辻井さんを呼んで講演会を企画している主催者が、100冊買い取ってくださったのだが、実際に届いて読んでみて、「運動に携わっている人にこそ必要だ」と考え、さらに100冊買取を追加してくれた。

 それにしても、三省堂の結果は、うれしいな。だって、『それでも、日本人は戦争を選んだ』を追い越しての1位だから(写真)。

1位

 『それでも、……』は、そのうち書評を書こうと思っていたけど、爆発的に売れている本だ。実際、とても良い本だと思う。

 歴史の描き方には、それぞれ独自の見解があるだろうけれど、筆者のつきつめた気持ちが伝わってくるからだ。なぜ戦争が起こったのか、どうすれば戦争が起こらないような選択をできるのかと。

 自分で言うのもおこがましいが、『心をつなぐ……』は、いま求められていると思う。前進も後退も、迷いも決意も、いまのような政治の激動期にはある。その中で、左翼のあり方は、いまこそ真剣な探求が必要だ。

 とりわけ、このブログをはじめ、共産党の議論のされ方をみると、そう感じる。インタビューの時、何回も辻井さんに突っ込みを入れたが、いつも穏やかに、柔和な表情で、考え抜いて答えをしてくださった。共産党が主題になると、すぐ熱くなる人が多いけど、対極にいる方だ。学ぶことが多い。

 ただ、ある書店人から言われたのだが、もっと広い立場の人に訴える工夫があった方がよかったかもしれない。辻井さんが共産党員だったと知らない人もいるだろうし、固有名詞も、左翼には当然でも、一般には知られていないものもあるし。これは反省。

 それにしても、なぜブログでは、共産党が主題になると、ギスギスするんだろう。私は政党への所属を一度も活字にしていないのに、「元」共産党員だという、自分でも知らない情報まで出てくるし。

 期待の表れだというのなら、まだ仕方ないと思えるのだが、どうもそうではないようだ。いつか、気持ちよく議論できる共産党論を、ここで連載したいんだよね。どうしたら、それができるだろうか。誰か教えてほしいな。


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心をつなぐ伊勢崎さんの言葉

 心をつなぐ言葉をどうしたら発することができるのか。自分にだってできないことを、他の人に求めるのは、筋違いなのかもしれない。

 そこで、最近、とても感動した言葉を紹介する。このブログをご覧の方なら知っているだろうけど、アフガン問題の解決をめざして奮闘する伊勢崎賢治さんだ。

 先日、お玉さんにインタビューしてもらったときのこと。いくつも考えさせられたが、とくに大事だと思ったことがある。

 何かと言うと、アメリカをどうするかということだ。アフガン問題を解決するうえでの核心である。

 左翼のみなさんは、アメリカに怒っていて、はげしい言葉で批判している。殺人者とか好戦勢力という程度はまだやさしい言葉で、活字にするのは躊躇するような言葉でだ。

 伊勢崎さんも、アメリカに怒っている。お金になるわけでもなく、命の危険もあるのに、私費で生命保険をかけてまでアフガンやパキスタンに行き、アフガン問題の解決策をさぐっているのも、「アフガンのこんな泥沼を生み出したアメリカを見返してやりたい」という気持ちからだ。

 じゃあ、「お前を見返してやる」という言葉を投げかけて、問題が解決するのか。アメリカが、はげしい批判の言葉を聞いたら、反省して軍隊を撤退させるのか。

 そうじゃないだろう。アメリカに、「あなたの言うとおりだ」と思わせないと、事態は解決しないのだ。

 だから、伊勢崎さんは、こう語りかける。「これはアメリカのためになる解決策なのだ」、「アメリカが望んでいる解決策だ」と。

 尊大なアメリカのことだから、自分が間違っていたとは、口が裂けても言わないだろう。でも、心の中では、これではだめだと苦闘していると思うのだ。

 そういう人の心に言葉が届けられる必要がある。自分の苦境を察して提案されているのだとわかれば、心がつながるかもしれない。

 帝国主義に対して、甘い見方だと批判されるかな。ただただ批判すればいいのだと言われるかな。

 まあ、アメリカに対しては間違っていても、神戸市長選挙をめぐっては、それほど間違ってないんじゃないかな。どうでしょ。


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心をつなぐ左翼のコメント?

 辻井さんの本をめぐって、コメント欄で議論がされている。何であれ、意見の違いを堂々と議論しあうのは、いいことだ。

 でもね……。心がつながってないよ〜ん。

 考えてほしいのは、この本の主旨は、先日の記事に書いたけれども、左翼による批判のあり方なのである。自分の見解が、理論的には正しいかもしれないけれども、批判する相手の心を傷つけることになっていないか。それを問う本なのである。

 コメントも、それにふさわしくなってほしいなと、私は思う。難しいことだけど。みなさん、心がつながってますか? つながろうという気持ちをもって、コメントを書いてますか?

 たとえば、神戸市長選挙をめぐる問題。複雑な問題だ。

 私、高校まで神戸で過ごしたこともあり、その後の政治生活でも神戸とかかわりがある。知人・友人もいろいろな立場に別れて争っていて、なかなかコメントしづらい。

 この問題をめぐって、共産党の対応を批判するコメントがある。擁護するコメントもある。他のブログでも、いろいろな議論がされている。

 ただ、おそらくだけど、左翼だったら共通しているのは、党派を超えて、矢田市政を転換したいということだったと思う。だからこそ、矢田市政を転換できなかった結果を前にして、相手への批判がきびしくなるという面もあるのだろうが、それにしても、矢田市政を倒したいという気持ちまでなかったわけではない。気持ちは一緒のはずだ。

 それだったら、どうしたら協力が進むのか。どういう見解を、どうやってのべれば、それがみんなの気持ちを潤わせ、協力し合おうという気持ちになるのか。それを考えてコメントしてほしいな。

 そのうち記事を書くつもりだけど、他党派との協力という問題を、基本文書(綱領など)で明確にしているのは、日本では共産党だけである。安保問題など原則的なことであわなくても、政権共闘することがあり得るということを明確にしている。

 地方政治においても、いろいろな経験がある。たとえば、高知県で橋本大二郎さんが最初に立候補したときの選挙。

 政策的な立場が異なる橋本さんを推薦するわけにもいかなかった。でも、県民の願いに応えて、自主投票に踏み切った。

 そして、党の県委員長は、「自分は橋本さんに投票する」と記者会見で明確にのべた。その後、実際の県政運営のなかで、橋本さんとの協力関係が強まった。

 共産党の綱領の立場からすれば、そういう柔軟な態度がとれるのである。共産党はそういうことができる理論をもっているはずなのだ。

 そいう暖かい気持ちで、コメントを書けないかな。今回の神戸市長選挙の対応については、評価が分かれるだろうけれども、協力し合わなければならないという強い気持ちがあれば、今回がどういう立場であれ、心がつながるようなコメントが書けると思うんだけど。

 協力が目的ではないというなら、それで構わない。とにかく共産党批判をしたいのだとか、逆に共産党擁護だけが目的なのだとか。それなら、勝手に議論してほしい。

 議論する度に左翼が反目し、離反していくというのは、私はまっぴらである。そんなイヤなことをを促進するブログになるなら、やめてしまいたいとまで思う。


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プロフィール

Author:松竹伸幸
(まつたけ・のぶゆき)
日本平和学会会員(日本外交論)
某地方出版社東京オフィス所長

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